2007/02/28

少し落ち着いたので、書きます。

父の病状ですが、以前書き込んだもの以降、
少し悪化し、そして今日、また本の少しだけよくなりました。

意識を失って以降、我が家に緊急事態宣言が出され、
失った日(ブログを書いた日)と次の日は、一家で病院についていました。

翌日は、少し落ち着いたという事で、時間を区切り、
家族三人で、病院にいくローテーションを組むことなり、
ブログが書けなくなっていたしだいです。

意識を失った次の日、病状は悪化し、起き上がることがなくなりました。
この日に起きたのが、痙攣で、腕や顔あと足も動いていたと思います。

この日も、目はこちらを見ることができる状態であったような気はします。
時々、レム睡眠になって、目が、ゆっくりと左右に動いていました。

もう一つ、大きな変化がありました。
もちろんしゃっくりは出続けていたのですが、
時折、その呼吸が止まるようになったのです。
母親が、そのままほうっておくと、死んでしまうと感じて、
僕ら兄弟を呼び寄せました。
呼吸が止まるたびに、胸元を叩いて「お父さん!」と何度も呼びかけました。

実際は、何もしなくても復活するのですが、
何も知らないで、みていると、呼吸が止まった上に、戻った時、
ひどく大きな息をするので(様は息を止めていたから)
見ている側は、気が気でありません。

母親が、夕方にそのことに気がついて、一件落着というわけです。
(看護婦さんは、同情してか、知らずか、何も触れませんでした)

次の日は容態が安定していたようだということで、僕は勉強にいそしみ、
兄と母が、交代で病院に行きました。
この日も安定しています。

次の日、午前中は僕の当番だということで、朝から車で行きました。
この日は、目はこちらを見なくなり、痙攣も起きていません。
痙攣の原因は、体内のミネラルバランスが崩れているためだそうですが、
意識を失った二日目から、痙攣抑制剤を投与しているため、体は安定しています。

また、その「二日目」に、昼から尿が出なくなり、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
尿が、排泄されない状態が続くと、24時間以内に死に至るという事があったので、
心配していたのですが、この日には、すっかり出ていました。

もちろん、オシメを変えるのは、僕ら家族や、看護婦さんの役目です。

この日は、呼びかけようが、何しようが、うんともすんとも言いません。
オシメを変えたり、口内から胆を吸引したりしても、一切の反応が帰ってきません。
こうやって死んでいくのかな…と思っていました。

そして、今日ですが、少し良くなりました。
どう良くなったのかというと、反応が返ってくるようになりました。
口内を洗浄したり、鼻から胃の排泄物を取り出している管があるのですが、
そこから、十分取り出す為に、体を右に倒したり、右に倒したりしています。
その倒す時に、反応が「う~ん」と帰ってくるようになったのです。
ただし、目はまだ動きません。

僕の身近な人ならば、僕の精神状態を心配されると思いますが、
現在は、安定しています。

前回のブログを書く少し前が、一番不安定でした。

どういうことかと言いますと、
医師からあの日、意識が戻ったりなくなったりを繰り返して、
少しずつ、臓器が弱ってゆき、既に悪くなっている臓器に引っ張られる形で、
悪化の速度を速めてゆくという言い方をされているからです。

つまり、僕はあの日、
父の死を嘆いたのです。

もう意識が戻らない父というのは、
亡骸に過ぎません。
体温はありますし、声も発しますが、
コミュニケーションはできません。

つまり、僕が生まれてこの方付き合ってきた、
父ではないということです。

精神的な交流が得られない以上、
その生命に対して、どうこうということはありません。
ただ、魂の抜け殻が存在し、
物質の連鎖反応で、生命反応を維持しているに過ぎません。
懐かしい、「物体」がそこにあるのです。

意識が戻っても、わずかな時間でしょう。

父との、精神的交流は獲られないと思います。

だから、あの日、僕は可能な限り自分を解放しました。

思いっ切り泣いたのです。

そのおかげで、今の安定があると思います。

今は、ただ、


母親をあまり苦しめずに、逝ってほしいと、思うのみです。