昨日の忘年会は愉しかった。同窓からの電話も嬉しかった。お陰で幸せな夢を見た。小学校の時、友達の家で遊んでいるような感覚だ。彼の家族と、ふざけて笑い合っていた。目が覚めてきて、彼らが長屋暮らしだった事に気づく。そういえば、その事を気に止めて遊んだことがなかた。
実際に、高校時代、まともにバイトをしてなかったし、むしろその事が、手持ちの金を彼等より少なくさせていた。今思うと、彼らは今僕がしてるように、大学にきて大学院に通うなど、簡単にできる境遇ではなかった。高校まで付き合ってきた友人のほとんどがだ。夢見心地がだんだん覚めてきた。
両親は、地方公務員で、共働きである分いささか豊かであったかもしれないが、父が貯蓄に当てていたため、日常がそれほど豊かであったわけではなかった。お陰で誰かの病で家が傾いたりもなかった。僕の貧乏性はここから来ている。
明らかに、出自のお陰で今がある。一方、その事をほとんど意識せず、暮らしてきたことに驚く。そう接してくれた彼ら親友たちにも。それが日本という国なんだろう。
僕は今、自らの出自を当てにすることでしか、僕自身、簡単には到達し得なかったであろうところまで来ている。田原総一郎が「日本の大学生はエリート意識が無さすぎる」といったとき、そんな自負がなんの役に立つのかと思ったが、そういった事でなかったことに、気づかされた朝だった。
もちろん出自だけで大学院生までになって研究を等という甘い世界ではない。だが、引きこもりや、2年の浪人は経験したが、境遇には幸い恵まれていたと思う。今日も美味しい珈琲を淹れることが出来た。幸せな一日を始めよう。
2010/12/12
今年は!!!
今年のおすすめアルバムはコチラ!!
Ella wishes you a Swinging Christ-Mas / Ella Fitzgerald & Frank De Vol Orchestra(1960 Verve HI-FI)

ちょっと、泥臭いというか、Jazzの遊びが入ってて
なれない人には抵抗感があるかもしれないけど、
Jazzのアルバムとしては外せないアルバムです。
元気一杯に歌ったかと思えば、
しっとりと歌ってたり、
最後の Frosty, the Snowmanなんぞは、
原曲が確か、テープの早回しで独特の音を出していたのをもじって
高い声で歌ってみたり。
人の真似をするのが大好きなエラらしいアルバムです。
今年はハッピーなクリスマスをいかがでしょうか?
Ella wishes you a Swinging Christ-Mas / Ella Fitzgerald & Frank De Vol Orchestra(1960 Verve HI-FI)
ちょっと、泥臭いというか、Jazzの遊びが入ってて
なれない人には抵抗感があるかもしれないけど、
Jazzのアルバムとしては外せないアルバムです。
元気一杯に歌ったかと思えば、
しっとりと歌ってたり、
最後の Frosty, the Snowmanなんぞは、
原曲が確か、テープの早回しで独特の音を出していたのをもじって
高い声で歌ってみたり。
人の真似をするのが大好きなエラらしいアルバムです。
今年はハッピーなクリスマスをいかがでしょうか?
2010/10/25
can you be too perfect? 完全な完璧主義は「不完全」
直訳で「完全な完璧主義になれますか?」
ずいぶん前に Scientific American
(Nature と並んで有名な一般科学誌。日本では解説記事だけ訳された日経サイエンスとして出版)
に掲載された記事の日本語訳が、手元に眠っていたので、
暇に任せて読んでいると、とても自分に当てはまる内容だったので、
とても刺激的な内容だった。
内容は
全ての完璧主義者が、
完璧に物事を運んでいるわけではなく、
完璧に物事を運ぼうとする志向が強い人ほど、
「不健全に」なってしまい、
むしろ本来の力を出せないままになってしまう
という話だ。
完璧に物事を運ぼうとする志向が強い人
とは、
自分自身に最大限の優秀さを求める人に対して使われており、
そのような人々は、
失敗に対する恐怖と、内省的な自己批判に終始してしまう
と結ばれている。
ミスを気に病む
ことと
他人からの期待を重荷に思う
落ち込み易い
ことに対して、強い相関があると指摘されている。
2007年の研究では
米国大学生の1/4が、「不健全な」完璧主義者になっているそうだ。
一方で、
完璧主義的な側面が、
その人の向上心と結びついている側面も否定することが出来ず、
実際に、
リラックスしつつ成功を入念に追求する
自分の強みを発揮することに集中し、自分が達成した事に対して、非常に大きな満足を発揮する
といった、
前向きな完璧主義と、
テストや、スポーツの成績とに相関がある
という結果が出ているそうだ。
このような「健全」な完璧主義に
「不健全な」完璧主義者を誘導するための
カウンセリングについてもわずかに触れられており、
完璧主義を促している状況や、
歪んだ思考パターンを特定して、
治療計画を設計しているそうだ。
つまり
「行き過ぎた自己批判」を指摘し、
「不完全になる練習」を促すそうだ。
このようなカウンセリングを4~8週間行った
小規模な調査によると、
強迫性障害、うつ、過食症が緩和した
といった結果が出ているそうだ。
最後に、
自らが、「不健全な」完璧主義者に陥っていないか
についてのテストが掲載されていて、
僕は見事に、陥っていた。
完璧主義を判定する基準ポイントが、42で
(ちょうど完璧主義者かそうでないかの分水嶺)
不健全さを表す、不一致ポイントが74だった
(42ポイント以上で完璧主義がマイナスに作用しているかも)
自分を見つめ直す切っ掛けにしたい。
ずいぶん前に Scientific American
(Nature と並んで有名な一般科学誌。日本では解説記事だけ訳された日経サイエンスとして出版)
に掲載された記事の日本語訳が、手元に眠っていたので、
暇に任せて読んでいると、とても自分に当てはまる内容だったので、
とても刺激的な内容だった。
内容は
全ての完璧主義者が、
完璧に物事を運んでいるわけではなく、
完璧に物事を運ぼうとする志向が強い人ほど、
「不健全に」なってしまい、
むしろ本来の力を出せないままになってしまう
という話だ。
完璧に物事を運ぼうとする志向が強い人
とは、
自分自身に最大限の優秀さを求める人に対して使われており、
そのような人々は、
失敗に対する恐怖と、内省的な自己批判に終始してしまう
と結ばれている。
ミスを気に病む
ことと
他人からの期待を重荷に思う
落ち込み易い
ことに対して、強い相関があると指摘されている。
2007年の研究では
米国大学生の1/4が、「不健全な」完璧主義者になっているそうだ。
一方で、
完璧主義的な側面が、
その人の向上心と結びついている側面も否定することが出来ず、
実際に、
リラックスしつつ成功を入念に追求する
自分の強みを発揮することに集中し、自分が達成した事に対して、非常に大きな満足を発揮する
といった、
前向きな完璧主義と、
テストや、スポーツの成績とに相関がある
という結果が出ているそうだ。
このような「健全」な完璧主義に
「不健全な」完璧主義者を誘導するための
カウンセリングについてもわずかに触れられており、
完璧主義を促している状況や、
歪んだ思考パターンを特定して、
治療計画を設計しているそうだ。
つまり
「行き過ぎた自己批判」を指摘し、
「不完全になる練習」を促すそうだ。
このようなカウンセリングを4~8週間行った
小規模な調査によると、
強迫性障害、うつ、過食症が緩和した
といった結果が出ているそうだ。
最後に、
自らが、「不健全な」完璧主義者に陥っていないか
についてのテストが掲載されていて、
僕は見事に、陥っていた。
完璧主義を判定する基準ポイントが、42で
(ちょうど完璧主義者かそうでないかの分水嶺)
不健全さを表す、不一致ポイントが74だった
(42ポイント以上で完璧主義がマイナスに作用しているかも)
自分を見つめ直す切っ掛けにしたい。
2010/07/10
ひどい記事だな
阪大と九大が消滅する規模、国立大学の運営費交付金が大幅削減される可能性
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100708_university/
http://gigazine.net/index.php?/trackback/16261/EZAK4fiZ/
引用元もひどいけど、
引用された後はさらにひどい。
タイトルで強調するところが間違っている。
Gigazine
産経
と書いてある所をよく読むと、
・社会保障費の純増分が、総予算の規模の純増とする。
つまり、
・仕分け結果(を受けての見直しによる)からの、予算圧縮がない
・各省庁が、一様に負担する(これはある程度妥当か)
・上の前提のもとでの負担分を、全て国立大学法人運営費交付金に当てはめてみる。
という前提に立っている。
単純にシーリング(予算に上限を掛けること)を掛けることは、
民主党は、第一回の事業仕分けで、
とくに、科学技術予算などの結果に対して、
あまり、似つかわしくないとの見解が出て、
減額幅が、(事業仕分けから)修正された経緯がある。
また、運営交付金は、たとえであって、
よく使われる、東京ドーム何個分とおんなじぐらいの意味。
それをメインタイトルにするのは、あまりにも滑稽(そう映らないのかもしれないけど)。
東京ドームXX個が無くなる可能性も、不況によって、オフィス稼働率が減少
というニュースと対して変わらない表現だと思う。
シーリングは、
これ以上は予算規模を増やさないという事を言っているので、
削減対象になりにくい運営費等だけが、削減されるというのも馬鹿げたはなし。
メディアって、
ホントに、それでもプロか?って言いたくなるほど、
誤解てんこ盛りの表現をする。
第二回は、削減幅に前提を置かないとした事を踏まえても、
シーリングを書ける場合は、慎重に対応すべきなのは確か。
数字は、見せ方でいろんな表情を持つので、
冷静になって、見ないと勘違いした事を主張してしまう。
きっと、こういう事を、
役人に踊らされるっていうんだろうな。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100708_university/
http://gigazine.net/index.php?/trackback/16261/EZAK4fiZ/
引用元もひどいけど、
引用された後はさらにひどい。
タイトルで強調するところが間違っている。
Gigazine
試算によって算出された削減割合を機械的に国立大学法人運営費交付金にあてはめた場合、削減額は約927億円にのぼり、2010年度までの7年間で削減された同交付金の削減額830億円を上回るとされています。
産経
文科省では年額1兆3千億円で伸びる社会保障関係経費を踏まえると、その他の一般歳出は年率8%の削減を余儀なくされると試算。これを機械的に国立大学法人運営費交付金にあてはめた場合、削減額は約927億円に上る。
と書いてある所をよく読むと、
・社会保障費の純増分が、総予算の規模の純増とする。
つまり、
・仕分け結果(を受けての見直しによる)からの、予算圧縮がない
・各省庁が、一様に負担する(これはある程度妥当か)
・上の前提のもとでの負担分を、全て国立大学法人運営費交付金に当てはめてみる。
という前提に立っている。
単純にシーリング(予算に上限を掛けること)を掛けることは、
民主党は、第一回の事業仕分けで、
とくに、科学技術予算などの結果に対して、
あまり、似つかわしくないとの見解が出て、
減額幅が、(事業仕分けから)修正された経緯がある。
また、運営交付金は、たとえであって、
よく使われる、東京ドーム何個分とおんなじぐらいの意味。
それをメインタイトルにするのは、あまりにも滑稽(そう映らないのかもしれないけど)。
東京ドームXX個が無くなる可能性も、不況によって、オフィス稼働率が減少
というニュースと対して変わらない表現だと思う。
シーリングは、
これ以上は予算規模を増やさないという事を言っているので、
削減対象になりにくい運営費等だけが、削減されるというのも馬鹿げたはなし。
メディアって、
ホントに、それでもプロか?って言いたくなるほど、
誤解てんこ盛りの表現をする。
第二回は、削減幅に前提を置かないとした事を踏まえても、
シーリングを書ける場合は、慎重に対応すべきなのは確か。
数字は、見せ方でいろんな表情を持つので、
冷静になって、見ないと勘違いした事を主張してしまう。
きっと、こういう事を、
役人に踊らされるっていうんだろうな。
2010/04/09
ミュージシャンに求めるもの
古今東西音楽というものは、常に誰かを魅了することで
その存在意義を見出してきたし、
聴く人々の人数や、力の有無に関わらず、
ある種の支援者に依って成り立ってきた。
クラッシックは長い歴史があるためか
殆ど、コンサートホール以外での演奏は無いが、
歴史を振り返れば、小さな部屋の一室で
少人数を相手に演奏されてこなかったわけではない。
コンサートホールでの演奏は
ジャズのビッグバンドがそうであったように、
歴史的な経緯を見れば、
聞き手が沢山いるという状況がなくなれば、
成立しなくなるのは当然の成りゆきだと思う。
そのような状況下で、ある音楽が大衆化するためには、
もしくは、支援者を見つけるためには、
彼らを音楽で魅了する機会がなければならない。
かつて有名になったジャズミュージシャン達は
いま人が集まらなくなったとしても、ライブと高額のギャラを求めている。
すでに大衆受けしていないジャズという音楽がおかれている状況と正面から向きあっていない様に思える。
(彼等はかつての栄光を口にし、聴衆が気がつかないことをいいことに、その枯れきった才能を自慢げに見せつけてくる。彼等が食べていける理由は彼の今の音楽でなく、かつての栄光を振りかざしているためで、結局、そうやって栄光に寄ってくる人々は限られてしまい、客を集めきれない裸の王様になってゆく)
彼等はまず、自らを知らない人々のもとへ行き、人々を魅了しなければならない。
それができなければ、その人の音楽に存在価値は無い。
そのとき、どうすれば観客を魅了できるかという葛藤を味わい
そこから、人々にとって魅力的な音楽が生まれるものと信じている。
クラッシックであれジャズであれ、
ソリストという人々は、すでにある価値観にそった表現をしているわけだけではなく、
観客との葛藤の中から、自らの存在価値を見出していると思う。
自らの理想との葛藤から存在価値を見出す人もいるが、
それは、結局その理想がたまたま、観客に受けた為で、
そのような人々というのは極稀にしかいない。
音楽は観客を魅了することができて初めて成り立つもののはずだ。
演奏技術はその為の手段であって、目的ではない。
そこを履き違えないようにして、初めて、
人々に悦びを与える事ができると思う。
その存在意義を見出してきたし、
聴く人々の人数や、力の有無に関わらず、
ある種の支援者に依って成り立ってきた。
クラッシックは長い歴史があるためか
殆ど、コンサートホール以外での演奏は無いが、
歴史を振り返れば、小さな部屋の一室で
少人数を相手に演奏されてこなかったわけではない。
コンサートホールでの演奏は
ジャズのビッグバンドがそうであったように、
歴史的な経緯を見れば、
聞き手が沢山いるという状況がなくなれば、
成立しなくなるのは当然の成りゆきだと思う。
そのような状況下で、ある音楽が大衆化するためには、
もしくは、支援者を見つけるためには、
彼らを音楽で魅了する機会がなければならない。
かつて有名になったジャズミュージシャン達は
いま人が集まらなくなったとしても、ライブと高額のギャラを求めている。
すでに大衆受けしていないジャズという音楽がおかれている状況と正面から向きあっていない様に思える。
(彼等はかつての栄光を口にし、聴衆が気がつかないことをいいことに、その枯れきった才能を自慢げに見せつけてくる。彼等が食べていける理由は彼の今の音楽でなく、かつての栄光を振りかざしているためで、結局、そうやって栄光に寄ってくる人々は限られてしまい、客を集めきれない裸の王様になってゆく)
彼等はまず、自らを知らない人々のもとへ行き、人々を魅了しなければならない。
それができなければ、その人の音楽に存在価値は無い。
そのとき、どうすれば観客を魅了できるかという葛藤を味わい
そこから、人々にとって魅力的な音楽が生まれるものと信じている。
クラッシックであれジャズであれ、
ソリストという人々は、すでにある価値観にそった表現をしているわけだけではなく、
観客との葛藤の中から、自らの存在価値を見出していると思う。
自らの理想との葛藤から存在価値を見出す人もいるが、
それは、結局その理想がたまたま、観客に受けた為で、
そのような人々というのは極稀にしかいない。
音楽は観客を魅了することができて初めて成り立つもののはずだ。
演奏技術はその為の手段であって、目的ではない。
そこを履き違えないようにして、初めて、
人々に悦びを与える事ができると思う。
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