2006/08/30

8月30日宣言!

◆自身への戒め

不安定な家庭と、不安定な学校での人間関係、青年期特有の不安定な心理状態が重なり、そこから逃避することで心の安定を求めた。それが、周りが大きくとらえたことで、より不安定になり、逃げ道を失ったというべきであろう。つまり不登校時代、私のやりたいこと、やったこと、当時の状況そのものが、周囲を苦しめる状況であったのだ。それは同時に私自身を蝕んだことは言うまでもない。

その気持ちへの整理が、自らの否定であった。自己存在の自己否定以外に、当時の自分を認める手法が見当たらなかったというべきかも知れない。この整理は、一年後の高校時代になされた。不眠症になり、苦しみの中から生み出した答えであった。

この自己否定は徹底された。それこそ一挙止一頭足、発した言葉の些細に至るまで、毎晩の反省が行われた。

その中での反省として、このような自らの行動の些細に囚われるような意識自身が、僕の行動を硬化させ、それが周囲の人間を困惑させていた。周囲から嫌われることは一切問題はないのだが、相手にいやな思いをさせる行為は、許されない。その意識から行動を軟化させるようになった。

浪人時代、しかしそのように自己否定と周囲尊重の姿勢は貫けなくなった。受験戦争という行為そのものがエゴイスティックなものであり、そこに参加するとはエゴイスティックになるということを意味していた。

期限付きの自尊心は、非常にもろいものであったのだが、高校時代に生み出した大きな自己革新と同様に、この自尊心が私の意識を変えていった。完全に目的からそれて、私を楽なほうへと導くかのように。

私を以前の見識から変えていったのはこの自尊心のみではない。他人への態度の軟化もまた緊張感をコミュニケーションから抜いていった可能性がある。

この問題は非常に重大で、現在の私の中途半端さを生み出している可能性がある。かつてに戻るのは問題があって変わったのだから良くない。しかし、現在の状態から何らかの方向へ自己変革しなければならないのは事実であろう。

コミュニケーション技術の稚拙さが大きな問題としてある。相手の意見を引き出す方法が、こちらの強い主張を提起することぐらいしかないことには前々から問題を感じている。またそれが、相手から自分の主張を出す機械を奪っている可能性すらある。抜本的な見直しが必要であるが、良い手法が見当たっていないのが現状だ。コミュニケーションにおいて満足感がわずかでもあればいいという考え方がもしかすればよい解答かもしれない。



ここに、僕の誕生日である 8月30日付けの宣言文を、日英両文で掲載いたします。
内容は、僕の関心や立場、考えをまとめたものです。
長文になる予定です。

尚、掲載、訂正期間は
本日2006年8月30~2007年8月30日 です。

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