2007/08/24

勘違いか、それとも本質的か

依然にこのブログに掲載した、
拙著
「科学とは」http://sch-view.blogspot.com/2006/12/blog-post.html
「科学と研究」http://sch-view.blogspot.com/2007/01/blog-post.html
について、考え直す必要性が出てきました。

従来通り、
必要性と十分性の中に、現象は存在し、
その現象を示す方法論として、科学は存在する。

という主張は変わりないのですが、
何が十分で何が必要かという点について、考え直さなければなりません。

上記の二つにおいては、
演繹「仮説」「理論」
帰納「現象」「実験」
として、

前者を「必要」、後者を「十分」性による展開としております。

ここで問題になるのは、
「必要性」と「必要条件」の差異です。

「必要性」による展開は、前述の二つのブログで、
僕が勝手に定義したものです。

「必要条件」はいうまでもなく、論理学の中に位置付けられた、
一般的な方法論です。

従って、定義さえ正確ならば、
「必要性」と「必要条件」の性格的一致はいらないのですが、
実際上、そこに数理科学に於ける本質な困難が隠れているような気がいたします。

つまり、何を命題とするかという問題です。

僕が、二つのブログの中で命題としたのは、

「ある現象」が観測された ならば
「ある原理」が想定される

という命題です。
この命題は、
現象から理論を導き出す
という目的の元に、立てられています。

しかしながら、その「逆」について考えると、

「ある原理」が仮定される ならば
「ある現象」は観測される

という命題も、説得力があります。

この命題は、仮定を先において、
現象と付き合わせるという、方法論です。

これは、鶏が先か、卵が先か という議論とよく似ています。

結局、問題なのは、どちらがより科学的なのか
という点です。

この点について、どう「解釈」するのか、
次回の投稿までに考えておきます。

科学において、現象や理論を、どのように解釈するのか
という事は、非常に本質的で、

それはつまり、

何を命題にするのか、
解釈することによって選びなさい

という事を意味しています。

この解釈がより正確であるならば、
より確かな像を、理論は我々に提供してくれるでしょう。

従って、解釈の難しさは、全く持って本質的なのです。

では、次回をお楽しみに。。。