
台詞で、演技をした所で、迫真な演技は出来ない。
台本の行間に隠れたひとりの人間を、心の底から感じ取り、
その人間の感情を、そのまま感じながら、演じないと、
真に、迫る演技は、どうしても出来ない。
もう一つ加えるならば、
それは、舞台という特殊な場所で演じているという、冷静な意識。
目的は、あくまで客に何か伝えることで、
そのために、どう振舞うべきか、
そのために、何を意識すべきかを、考えながら、
舞台全体を感じ取り、
そこに自分を置いて、次の演技を始めなければならない。
この相反する、
演技に入り込んだ状態と、
冷静に、舞台と自分を捉える意識が、
とてつもなく、微妙なバランスの上で、
美しく踊りだしてこそ、
偽りの無い人間が、舞台の上に生まれる。
今日見た映画「フラガール」で、
改めてそれを感じさせられた。
心の底から、感じ、
言葉にしたものには、本物の感動がある。
映画の間に挟まれるCMに登場する、
目が死んだ、踊らされている人たちを見ていると、
いくら綺麗でも、
いくらカッコよくても、
いくらかわいくても、
どこか、そこに、
描かれている鮮やかさの中の、暗い部分を感じ取ってしまう。
映画についても同じ。
演じている役の感情を、感じれないまま、
名前だけで、抜擢された人は、
節々に嘘っぽさが付きまとう。
逆に、役に心底入り込んだひとは、
外見の良し悪しには関わらず、
人間模様の織り交ざった、
素朴な美しさがある。
普段から、思っていることだが、
男の僕からすれば、
大抵の女性は、十分なほどの魅力を持っている。
ただ、その表現の仕方が下手で、
もしくは、取り違えていて、
不細工な表現しか出来ていないだけ。
本当に、殆どの人は、
自分の魅力を、知らずに生きている気がする。
そういう時は、
下手な役者を見たときと、
おんなじ気持ちになる。
素晴らしい台詞があるのに、
その、本当のよさをわからずに演じるのと、
全く同じだ。
僕からすれば。。。
もちろんそれは、
殆ど全ての芸術に対して言える。
もったいない
この言葉に尽きる。
ほんとうに、もったいない。