2007/01/26

久しぶりの日記



これが、僕の研究対象であるカオスです(笑)
てなわけないでしょw

すさまじい状態です。
これが、テストのあとという感じですか。
夢破れて山河あり。。。違うか。

明日は、気持ちを入れ替えるためにも、
片付けなければなりませんねw

数学・理科学アーカイブ

提言とは、以前より幾度となく言い続けてきたことです。

ネット上に数学、理科学に関する公式、定理、法則、現象に関するあらゆるものの
総合的なアーカイブを作るべきではないかというものです。

巷に八百万(やおよろず)の教科書はあれど、
完全に、科学的に書かれた教科書は、ごくごく一部です。

特に応用分野では甚だしく、途中変換がわからなくなるような
荒い教科書が多々あります。
その時、学習者としては、著者の間違いなのか、ただ計算できないだけなのかがわかりません。

原因としては、容易にその基礎となる学問に触れることが出来ない点にあります。

つまり、確かに参考文献として教科書は挙げられていますが、それらもまた完全なものではなく、
逐一そのような形で、調べていっても無駄な時間をすごすだけで、
折角、蓄積されてきた、過去の偉人の遺産を無駄にしているとしかいえません。

また、単に学習者だけではなくて、
研究者にとっても、そのようなわずらわしい作業はまったく研究に役に立ちませんし、
早く正確な情報を得ることが出来るに越したことは無いわけです。

しかしながら、単にそれらの情報をまとめるということでは、弊害が起きてしまいます。

一つに、誰がその情報に対して責任を持つのかという点です。
もう一つに、どのように伝えるかという点です。

全ての情報を、同じ人が全て書いたならば、それは最もいいことですし、
責任の所在、信憑性の評価が出来ます。
しかし、全科学、全数学となると話は違います。
ようは、一人ではムリだということです。

また、種種の教科書を読んでいればわかるように、
あることをテーマにしていたとしても、その教え方は千差万別で、
かなりの年月を経てやっと落ち着いてきます。
数十年という長い長いスパンです。
ようは、理論に対する、多様な伝え方が可能なメディアでなくてはなりません。

従って、
教科書の様な伝えるページ
各定理や公式、法則などをアーカイブするデータベース
を、例えば証明法をランダムに表示することで伝えるなどして
または、加筆可能にしたり、
議論の場を設けたりすることによって、
双方向的なメディアにすべきではないかと思います。

データベースは不特定多数が、
教科書は、個人の責任で(詰まり自分のページ等の形で)
執り行うということです。

ここで、信憑性に対しての議論ですが、
論文と、このメディアは一緒にすべきでは無いと思います。
つまり、このメディアは、理解しやすくするために作られたもので、
論文としての価値はありません。
ただ、法則を、例えば議論中のページなどを設けることによって、
またそこに論文のアドレス(どの雑誌の何号何ページ目か)を掲載することによって
信憑性を設けるべきだと思います。

このようなメディアを用いると、
世界の研究速度は一気に加速すると思われます。
簡単に言えば、どこにどんな問題がどのような形で提示されているかがリアルタイムでわかるからです。

そして、このメディアの書き込み(書き換え)履歴から、誰が書き込んだのか(特定可能にすべき)
を明らかにすることによって、専門家がその分野に対してしっかりとした説明をしたことになるので
かなり明確に、諸問題が浮き彫りになると思います。

このようなメディアは、しかしながら、
しっかりとした国際的な団体によって、管理されなければなりません。
また、各種学会による「全面的な」支援が必要です。
一個人、一大学などでは到底不可能な世界だということです。

このようなメディアの登場によって、
よりフレキシブルな科学研究の場が実現することを願っています。