2007/09/25

今日はゼミでした

本日は、履修し忘れて今頃履修して、
恐ろしくつまらない目にあっているコンピューター演習と、
吉光研のランダウ統計のランダウ理論ゼミでした。

っていっても物理系以外の人にはぴんと来ませんねw

えっと、物理のゼミってどんなのかと言いますと、

輪講といって、順番にゼミの担当があって、
教科書を読んできて、前で発表

というものです。
一見、文系となんら変わらないと思うでしょうが、

発表=数式の証明&物理的解釈

をする必要があります。

ちなみに、教科書は沢山の要素を含んでいるため、
とってもわかりにくく、証明の理解だけでも大変です。

物理的解釈は、年季が入れば入るほど磨きがかかるようなもので、
僕らみたいなぺーぺーには恐ろしく大変な仕事です。

最後に出てきた式をじっくり眺めて、他の分野と関連付けたり、
意味づけたりするのが、解釈なのですが、
僕が、どんなにがんばっても、いつも吉光先生(指導教官の先生・ちなみに来年退官)
にケチョンケチョンにされてしまいます。

ランダウの教科書は、物理のバイブルとも呼べるような崇高な教科書で、
他の教科書に載っていないようなお宝が、ザクザク埋まってます。

恐ろしいほどに理路整然としていて、一章飛ばして読もうなどと、甘い考えを持つと、
こっぴどくやられてしまいます。

つまり、そこココにあそこで書いたでしょってのを書かれて、(しかも丁寧な説明も無い)
おまけに、あの時述べたことは、こういう風に捉えることも出来るから。。。
等と、十分に理解していないと、ついていけないような高級な話をされます。

それでもランダウの教科書が素晴らしいのは、
ふと感じてしまうたくさんの疑問に答えてくれていること と
あらゆることに、十分な考察と理論付けを行っていて、より深い理解が得られる 事です。

但し、1セクションをしっかり理解しながら読むのに、3,4時間じっくりかけないと、読み落としが出ますし、さらに、疑問に思ったことを式をいじって考えようものなら、丸一日次の日をつぶしちゃいます。

教科書を開く時に、思わず正座したくなるほどの恐ろしさです。

ちなみに、ゼミでは1セクションを(先生の突っ込みに耐えうるほど)十分理解して、
整理してから、発表しないと、とってもいじめられます。

ですから、ゼミが終わったら、とってもぐったりとしています。

いい勉強になっているのは確かなんですがね。。。

2007/09/24

今日はダメ

明日、研究室のゼミがあり、僕の番なので勉強しようと思っていたのですが、
ゼンゼンだめ。

昨日1時過ぎに寝て、起きたのが、11時。
それでもしんどくて、2時から4時ぐらいまで寝てました。

多分風邪でしょう。

こういう日は、頭が働きません。
気持ちだけ、勉強する気になっていたので、消化不良です。

明日のゼミは、一応勉強していますが、
また、先生にこっぴどく突っ込まれるくらい、十分ではありません。

土曜日を休日にして、
大学院試の為に持って帰っていた教科書を運ぶため夕方学校まで車を走らせました。

日曜が墓参り。この日は一日車番。終わったら疲れて寝てました。

今日は風邪。

先週は水曜日にゼミがあって、その後先生とゼミコンパ。
お酒はダメですといっていたのですが、
計らずも先生が僕のグラスに注いでしまい
僕も、一杯くらいならとビールをコップ一杯飲みました。

それのおかげで、次の日は一日中頭が重くて、潰しました。
金曜日に、学校行きましたが、電車に一本乗り過ごして、授業に出ず。
あんまり頭を使わなくてすむFortranというPC言語を勉強していました。
というのは、この日もお酒の後遺症が少なからず残っていたので。

それに続く三連休なのに、ゼンゼンダメです。

皆さん、季節の変わり目とお酒にはご注意を。。。

2007/09/22

院試合格に浮かれて、今日この頃

お久しぶりの日記です。

いや~、受かってからというもの
遠くへ引っ越す事になるという事で、人生の要人への挨拶があって、
大変大変w

あれやこれやの毎日です。

さてさて、受かってから
BOSEのCDプレーヤーか、
SUREのイアホン+KENWOODのHDプレーヤーかで
悩んでましたが、

結局、SUREのイアホン 6万円+KENWOODのHDプレーヤー 5万円
                                     計11万円
をかっちゃいました。

大学院試験と、これまでのあれやこれやに対しての、
自分へのご褒美ですね。

しかし、SUREのイヤホンは音がいい。
特に高音の伸びに関しては抜群。

低音は、コーンの帰りが遅いようで、
位相の重なった波が聞こえて、音の立ち上がりが悪くゴワゴワしてますが
それ以外は満点に近いですな。

値段だけのことはあります。

おかげで、通学中の勉強がおろそかになる毎日。

そうそう。

もう一つ発見したのが、Classicの良さ。

DENONのDDD録音 の藤原真理を買いましたが、
(DDDとはrecording, mixing, mastaringがDigitalという事)

僕の周りの諸先生方からは、非難の嵐。
もっといい演奏の録音もってこいと(笑)

僕からしたら、よかったのですが、
どうも、Classicの録音は、Jazzに比べて一段上らしく、

analogの音源を存分に再生するには、昔の真空管アンプを引っ張り出さないと、
弦のつやが出ないとかどうのとか

今のアンプは、Digital向きだから、だめだとかどうとかw

音の世界はおくが深いなーと思いました。

そうそう。
久しぶりにMSN MySpaceを覗いて、写真を更新しときました。
http://aohmusi.spaces.live.com/

いやー懐かしい。
また、写真がとりたくなりました。

今度は、デジカメのいいのを買わないといけませんねw

授業も始まり、自主ゼミが3つに研究室ゼミ1つ+卒研+授業

相変わらず、ムチャなスケジュールになりました。

忙しくて会えない方々、
ごめんなさいね!

ではでは皆さんお元気で~

2007/09/01

喜怒哀楽は人生のスパイス!~院試結果通知~

先月になってしまった30日、
僕の24回目の誕生日。

一日中、モノを考えないようにしていた。
出来る限り、忘れられる場所に行き、
関係の無いことをして、時の過ぎるのを感じないようにした。

ちょうど10日前に受けた、大学院試験の合格発表の日だった。


それから丸2日


何の連絡もなく
果てしなく長い時間が過ぎた。

やり過ごすすべを失いかけていた今日9月1日。

未だ、何の通知も来ない。

昼を過ぎても、来なかった。


午後5時ごろ。


一通の封筒が入っていた。

小さい封筒だ。
おそらく数枚の紙切れしか入っていないだろう。

開ける手が震えたのを覚えている。





そこには、確かに数枚の紙切れしかなかった。





間違いなく、合格通知。

北海道大学大学院 理学院 数学専攻


思えば、神戸大学の小松崎先生に、
先生の研究室を受験する連絡をして、
先生から、10月以降、北大に移るとの連絡を受けて、
あわてて、北大のページを覗き込んだ。

先生と、共同研究がもたれる可能性のある研究室を、
受験するように指示があり、驚く気持ちを隠しきれず受けた数学専攻。


ペーパーテストなし。
10枚以内のレポート提出。
レポートに関する面接試験。


物理の内容を、レポートにまとめてよいといわれても、
相当戸惑った。

物理には、数学的な面白さは無い。

物理の魅力は、別の所にある。


メールを受けて、レポート提出まで2週間。
テーマ選びに悩み、レポートの内容に悩んだ。


名古屋大学のR研と、小松崎研究室で
最後は相当悩んだが、

小松崎研と決めた後の、心の決まりのよさはなかった。
これでいいという気持ちだけで、迷いはなかった。

その分、急な北海道という選択肢の登場に、
大きく戸惑った。


これでいい。
このまま進んでいい。

ただ、進むのが怖いだけ。




今日

霧の中から、初めて顔を出した。

不安から、封印していた勉強も出来るだろう。


北の国から、
最高のバースデープレゼントが、

今日到着した。

2007/08/31

勘違いか、それとも本質的か③

前回は

①「ある現象」が観測された ならば
 「ある原理」が想定される

について、解釈した結果、次の様なことを得ることが出来ました。

/////////////////////////////////////////////////////////////
①は

自然現象が、本来的にその性質を備えている

という、観点に立脚しておらず、
我々(人間)が、観測することによってその性質を現す
という危うさをはらんだ観点である一方

演繹と帰納が、
原理と観測に対応する事を意味しており、

かなり、いい具体像を提供してくれる。

という、メリットとデメリットが同時に成立している。
/////////////////////////////////////////////////////////////

では、今回は①の「逆」

②「ある原理」が仮定される ならば
 「ある現象」は観測される

を、解釈してみます。

前回同様こういう言い換えは可能ですね。

「ある原理」が存在する時、その現象に対応する、
「ある現象」が存在する。

これは、順番としては、

原理が存在して、初めて現象が確認される。

ということが言えます。

自然界の構造は、はじめから原理が存在するわけですから、
自然界に極めて近いですね。


必要十分という言葉に戻りましょう。

「ある原理」が想定される は、この場合

「ある現象」が観測される 為の十分条件で

逆に、

「ある現象」が観測された 事は、

「ある原理」が想定される 為の必要条件です。

前回同様に不等号で包含関係を表すと


「原理」⊇「現象」⊇「観測」

となります。

やはりこちら側は、自然界の構造を現していますね。


結論として述べるならば、
前回の

①「ある現象」が観測された ならば
 「ある原理」が想定される

は、自然現象を理解、解釈してゆく課程を

②「ある原理」が仮定される ならば
 「ある現象」は観測される

は、自然界そのものの構造を表している
ということができるでしょう。

したがって、科学という方法論で用いるべきは、
①であって、その結果
②という結果を得るというべきでしょう。

2007/08/27

勘違いか、それとも本質的か②

前回は、

①「ある現象」が観測された ならば
 「ある原理」が想定される

その「逆」

②「ある原理」が仮定される ならば
 「ある現象」は観測される

のどちらが科学的かという、所で終わりました。

では、理論物理を目指している人間らしく、
具体的に夫々を、解釈していきましょう。

①「ある現象」が観測された ならば
 「ある原理」が想定される

はどう解釈すべきでしょうか。

こういう言い換えは可能ですね。

「ある現象」が存在する時、その現象に対応する、
「ある原理」が存在する。

これは、順番としては、

現象が確認されて、初めて原理が存在する。

という事がいえます。
歴史的な順番に極めて近いですね。

一方、この視点は現象が確認されない限り、
その原理は、存在し得ないという観点も持っています。

これは、
自然現象が、本来的にその性質を備えている

という、観点に立脚しておらず、
我々(人間)が、観測することによってその性質を現す
という危うさをはらんだ観点です。

必要十分という言葉に戻りましょう。

「ある現象」が観測された

は、この場合

「ある原理」が想定される

為の十分条件で
逆に、

「ある原理」が想定される

事は、

「ある現象」が観測された

為の必要条件です。

この、必要十分条件が一致した時、
厳密に、自然現象を捉えることが出来たと考えるならば、

「現象の観測」は、
「現象の原理」に対して、十分条件なわけですから、

「厳密に、自然現象を捉える」=「現象」(と定義すると)

「現象」より、「観測」は条件として、

含んでいるか等価

になります。 同様に

「現象」より、「原理」は条件として、

含まれているか等価

となるわけです。

包含の記号が無いので、不等号で代用しますと、

「原理」≦「現象」≦「観測」

となるわけです。

イメージとしては、

原理が現象の中に転がっていて、
観測においては、
現象を正確に捉えるのには少しゆるい条件で、
観測結果が得られる。

と、なるのです。

このイメージは、
演繹と帰納が、
原理と観測に対応する事を意味しており、

かなり、いい具体像を提供してくれます。

まとめますと、①の観点は

自然現象が、本来的にその性質を備えている

という、観点に立脚しておらず、
我々(人間)が、観測することによってその性質を現す
という危うさをはらんだ観点である一方

演繹と帰納が、
原理と観測に対応する事を意味しており、

かなり、いい具体像を提供してくれる。

という、メリットとデメリットが同時に成立しているわけです。

僕が定義していた、必要性、十分性は、
二つ目のメリットから来ています。

しかし、デメリットがあるわけです。
これによって、逆である②を考えなくてはなりません。

話が長くなってしまうので、
これまた次回にいたしましょう。

2007/08/24

勘違いか、それとも本質的か

依然にこのブログに掲載した、
拙著
「科学とは」http://sch-view.blogspot.com/2006/12/blog-post.html
「科学と研究」http://sch-view.blogspot.com/2007/01/blog-post.html
について、考え直す必要性が出てきました。

従来通り、
必要性と十分性の中に、現象は存在し、
その現象を示す方法論として、科学は存在する。

という主張は変わりないのですが、
何が十分で何が必要かという点について、考え直さなければなりません。

上記の二つにおいては、
演繹「仮説」「理論」
帰納「現象」「実験」
として、

前者を「必要」、後者を「十分」性による展開としております。

ここで問題になるのは、
「必要性」と「必要条件」の差異です。

「必要性」による展開は、前述の二つのブログで、
僕が勝手に定義したものです。

「必要条件」はいうまでもなく、論理学の中に位置付けられた、
一般的な方法論です。

従って、定義さえ正確ならば、
「必要性」と「必要条件」の性格的一致はいらないのですが、
実際上、そこに数理科学に於ける本質な困難が隠れているような気がいたします。

つまり、何を命題とするかという問題です。

僕が、二つのブログの中で命題としたのは、

「ある現象」が観測された ならば
「ある原理」が想定される

という命題です。
この命題は、
現象から理論を導き出す
という目的の元に、立てられています。

しかしながら、その「逆」について考えると、

「ある原理」が仮定される ならば
「ある現象」は観測される

という命題も、説得力があります。

この命題は、仮定を先において、
現象と付き合わせるという、方法論です。

これは、鶏が先か、卵が先か という議論とよく似ています。

結局、問題なのは、どちらがより科学的なのか
という点です。

この点について、どう「解釈」するのか、
次回の投稿までに考えておきます。

科学において、現象や理論を、どのように解釈するのか
という事は、非常に本質的で、

それはつまり、

何を命題にするのか、
解釈することによって選びなさい

という事を意味しています。

この解釈がより正確であるならば、
より確かな像を、理論は我々に提供してくれるでしょう。

従って、解釈の難しさは、全く持って本質的なのです。

では、次回をお楽しみに。。。