例の喫茶店で、ラテを飲みながら、Jazzを聴いていますと、懐かしい人に遭遇。
僕のウッドベースの持ち主の、彼。
というか、この人のほうを先に知っていたのですが。。。
O塚氏である。
奥さん(まだ結婚して無いと思う)が、ブラジルに行くことは、聴いていたけども、
もしや、二人で行っていたとは思いもよらず、
ひたすら、その苦労話を聞いていました。
言葉を知らないで、外国に行くのは本当に辛そうだというのが本音。
なんとお二人は、言葉も知らずに飛び込んで、
ミュージックスクールで言葉がムリだから辞書片手に筆談。
働きたいと直訴して、
無理やりに、友達を増やし、
死に物狂いで、生きてきたらしいです。この一年。
車が無いから、エレピを乗せてもらって、つれてってもらい、
帰りも同様。
最悪の時には、ドラッグと酒で泥酔した人を、必死で駆り立てて、
送ってもらったこともあったらしいです。
アパートでは、朝起きたら、自分の部屋でイタリア人がシャワーを浴びていて、
話を聞いたら、観光できているとのこと。(大家さんが勝手に了承したらしい)
外に出るだろうと思っていたら、家で、SEXと薬漬け。
さすがに嫌になって、引っ越したそうです。
ライブをするときは、いつも誰かに車を頼むか、
タクシーでライブ会場に。
帰り道がわからないから、何度も死にかけたそうです。
街では泥棒と警察が銃撃戦をしていたり、
友人のサックス300万相当が、盗まれていて、
泥棒がいるから捕まえてくれと警察に頼んだら、
何を盗まれたんだと聞くだけ。
彼らにとっては、事後処理が仕事になっているらしい。
他にも、二階に住んでいて、
一階の大家が、雨漏りの工事をしたために、
雨の時、部屋が洪水になり、大惨事に。
共同の風呂に行って、帰ってきて、部屋を空けようとしたら、
鍵が壊れてたとか。。
まぁ日本ではありえないなぁとおもう事が、向こうでは連発していたらしく、
相当大変だったらしいです。
皆さんも気をつけましょう。
2007/03/18
2007/03/06
御心配おかけ致しました
長い間、心配を掛けるような日記を書いといて、ほったらかしにしてごめんなさい。
父は、3月1日午後8時55分 永眠いたしました。
ちょうど、ブログを書いた晩の2時に(完全に寝てました)電話がかかってきて、
(最高)血圧が60になって、危険な状態だから来てくださいというものでした。
母方の祖父祖母が来ていたので、二人も一緒に病院へ。
タクシーで、夜の阪神高速を駆け抜けて、20分ほどで病院に着きました。
夜を徹して、母、兄、祖母、祖父、そして僕が見守り続けました。
全身に熱を帯びた状態で、次第に四肢(両手両足)の体温が下がってきました。
体は、依然熱を帯びています。
心拍数は正常で、血圧は殆どはかれない状態になっていました。
朝になって、次第に全員の疲れが出始め、夫々が軽く仮眠をするような状況になりました。
昼には、母の兄 夫婦が応援に駆けつけ、祖父と祖母は帰宅、
僕らは仮眠を取るようになりました。
夕方になり、母の兄の奥さんのお母さん(ややこしい。。。)が、
60代前半でなくなったときには、あと2,3日といわれて、一月持ったという話が出て、
2,3時間仮眠を取った僕らは、一次帰宅。
母の兄夫婦に任せて、一度帰宅、
(まともな)ご飯を食べて、僕と母が病院に向う途中でした。
母の兄夫婦から電話が入り、
呼吸の間隔が伸びてきている。危険な状態だ
と連絡が入りました。
母は、もう間に合わないと思い、がっくりとしていましたが、
病院に着いた時には、まだ心電図の音が聞こえていました。
母の兄の奥さんは、僕らの姿を見た瞬間に、
半分気を失いそうになりながら、よかったー
と声をあげました。
呼吸はしているのかしていないのかわからない状態で、
それまでしていたように、肩は動きませんでした。
兄は電話をもらってから、すぐに連絡をしたので、
10分から15分遅れてくるはずです。
脈はかなり不整脈になっていて、止まったと思えば動き出します。
僕は、父の顔のそばで見守っていました。
母の兄夫婦から、母に連絡して5分も絶たないうちに、
急に状態が悪くなったことを、しきりに訴えて、どうなるかと思ったと
僕らに話していました。
母は、あと少しで兄が来るから、それまでがんばってと、
半分あきらめも混じりながら、肉の塊となりつつある父をさすりながら訴えています。
母の兄夫婦がしゃべっている時でした。
何度か目の心停止が来ました。
まだ、持つだろうと次の音を期待していた中、
聞こえたのは、さすった衝撃で鳴った、音だけでした。
主治医の先生がやってきて、心臓の音を確認。
先生も、処置が後手に廻ったことを悔しそうにしながら、
良くがんばりはったと、いい、父の死を確認いたしました。
父についている管を抜き取るため、
僕ら家族は別室に移動。
兄の到着を待ちました。
死んですぐに兄に電話した時、
兄は、病院がある駅を降りた所でした。
管を抜いた後、伸びた髭を剃り、
服を換え、力が入らなくなった為、下がった顎を固定し、
まぶたを閉じて、霊柩車を待ちました。
冷たくなった父の体は、
そのしっかりとした骨に、肉がへばりついているだけの、
冷たいものでした。
死因は癌性腹膜炎
原因は胆管癌
父の60年と半年の人生が終わりました。
ご存知の通り、死後直前から葬式が終わるまでというのは、
全力疾走するようなものです。
病院から運ばれた遺骸をおって、葬儀場へ
葬式の日程から、内容、飾る花、何人ぐらい呼ぶか、
誰が番をするのか、
などなど、一気に押し寄せてきます。
この日は、とりあえず、
朝からの睡眠不足がピークに達していたので、
晩はせず、家に帰ることにしました。
病院にあった荷物は、整理している余裕などありません。
次の日、葬儀場に出向いて晩をし、、
親戚に連絡を取り、焼香順から、止め焼香を誰にするか、
父の入棺など、この日も走り回りました。
次の日は通夜で、父方の親戚は、近くの方以外は来ないことがわかったので、
付き合いのある、母方の親戚のため、世話も殆どなく、晩に通夜があるため、
僕は、成績発表と、卒研決定があるので学校へ向いました。
今週一週間は、父が意識を失っていて、何ぞ何ぞと、病院に呼び出されたため、
毎日のように病院で、飯を食い、晩に家に帰る生活をしていました。
その為、学校に出向いた日は、疲れも溜まっていて、
だいぶ眠かったことを覚えています。
みんな、ブログ見て、心配してくれてありがとう。
と、言いつつ、時間を気にせず、数学科の友達と話し込んでしまい、
通夜1時間前に到着。
ちょっと危なかった。
通夜が終わり、晩御飯は葬儀場で。
この時からぺちゃくちゃぺちゃくちゃと、他愛ない会話が、
おっちゃんやおばちゃん、じいちゃん、ばあちゃんと続き、
時々、思い出したように、葬式が入ってきました。
父が危篤だという電話を受ける前まで、
祖父と近くにできた温泉に行こうという話しをしていたので、
僕ら家族や、祖父祖母、叔父叔母(叔は年少の意味)、伯父伯母(伯は年長の意味)、
の疲れがピークに達していたこともあり、明日葬式の後に、
風呂に行くことになりました。
葬式の後に、九州から来た、父のいとこから、
父が、僕ら家族に対してしていたように、頑固で、気使いであったこと
自分の思いどうりにならないと、怒り出すことなど、を聞き、
昔から、変わらなかったんだなと感心していました。
父は、独善的な面があるため、友人が少なく、
かといって、マメであった為、僕らの知らないうちで、
色々と、やっていたので、残った僕らは、一つ一つ
ブラックボックスを開ける破目に会うことになりました。
母は、友人だけど、連絡を取ったり付き合いがあったりしなかったからと、
入院中に連絡取らなかった、父の友人から、
入院した時に何故言ってくれなかったのかと、迫られたと、
今日言っていました。
昨日からは、父のものを整理し始めましたが、
何せ、デジタル機器から本まで、色々とあって、
どこから手をつけ始めたらいいのかと迷うばかりです。
今日は電子手帳を整理したのですが、
整理が終わって、ふと父の机の引き出しを開けると、
また一つ出てきます。
これで4っつ目。
わけがわかりません。
iPod二つに、デジカメ二つ、PSPにニンテンドーDS。
USBメモリーや、各種メモリーカードが、計15~20ほど見つかりました。
そして、それらとパソコンをつなぐケーブル類。
まだCD-Rが残っています。
頭が痛くなりそうです。
父は、3月1日午後8時55分 永眠いたしました。
ちょうど、ブログを書いた晩の2時に(完全に寝てました)電話がかかってきて、
(最高)血圧が60になって、危険な状態だから来てくださいというものでした。
母方の祖父祖母が来ていたので、二人も一緒に病院へ。
タクシーで、夜の阪神高速を駆け抜けて、20分ほどで病院に着きました。
夜を徹して、母、兄、祖母、祖父、そして僕が見守り続けました。
全身に熱を帯びた状態で、次第に四肢(両手両足)の体温が下がってきました。
体は、依然熱を帯びています。
心拍数は正常で、血圧は殆どはかれない状態になっていました。
朝になって、次第に全員の疲れが出始め、夫々が軽く仮眠をするような状況になりました。
昼には、母の兄 夫婦が応援に駆けつけ、祖父と祖母は帰宅、
僕らは仮眠を取るようになりました。
夕方になり、母の兄の奥さんのお母さん(ややこしい。。。)が、
60代前半でなくなったときには、あと2,3日といわれて、一月持ったという話が出て、
2,3時間仮眠を取った僕らは、一次帰宅。
母の兄夫婦に任せて、一度帰宅、
(まともな)ご飯を食べて、僕と母が病院に向う途中でした。
母の兄夫婦から電話が入り、
呼吸の間隔が伸びてきている。危険な状態だ
と連絡が入りました。
母は、もう間に合わないと思い、がっくりとしていましたが、
病院に着いた時には、まだ心電図の音が聞こえていました。
母の兄の奥さんは、僕らの姿を見た瞬間に、
半分気を失いそうになりながら、よかったー
と声をあげました。
呼吸はしているのかしていないのかわからない状態で、
それまでしていたように、肩は動きませんでした。
兄は電話をもらってから、すぐに連絡をしたので、
10分から15分遅れてくるはずです。
脈はかなり不整脈になっていて、止まったと思えば動き出します。
僕は、父の顔のそばで見守っていました。
母の兄夫婦から、母に連絡して5分も絶たないうちに、
急に状態が悪くなったことを、しきりに訴えて、どうなるかと思ったと
僕らに話していました。
母は、あと少しで兄が来るから、それまでがんばってと、
半分あきらめも混じりながら、肉の塊となりつつある父をさすりながら訴えています。
母の兄夫婦がしゃべっている時でした。
何度か目の心停止が来ました。
まだ、持つだろうと次の音を期待していた中、
聞こえたのは、さすった衝撃で鳴った、音だけでした。
主治医の先生がやってきて、心臓の音を確認。
先生も、処置が後手に廻ったことを悔しそうにしながら、
良くがんばりはったと、いい、父の死を確認いたしました。
父についている管を抜き取るため、
僕ら家族は別室に移動。
兄の到着を待ちました。
死んですぐに兄に電話した時、
兄は、病院がある駅を降りた所でした。
管を抜いた後、伸びた髭を剃り、
服を換え、力が入らなくなった為、下がった顎を固定し、
まぶたを閉じて、霊柩車を待ちました。
冷たくなった父の体は、
そのしっかりとした骨に、肉がへばりついているだけの、
冷たいものでした。
死因は癌性腹膜炎
原因は胆管癌
父の60年と半年の人生が終わりました。
ご存知の通り、死後直前から葬式が終わるまでというのは、
全力疾走するようなものです。
病院から運ばれた遺骸をおって、葬儀場へ
葬式の日程から、内容、飾る花、何人ぐらい呼ぶか、
誰が番をするのか、
などなど、一気に押し寄せてきます。
この日は、とりあえず、
朝からの睡眠不足がピークに達していたので、
晩はせず、家に帰ることにしました。
病院にあった荷物は、整理している余裕などありません。
次の日、葬儀場に出向いて晩をし、、
親戚に連絡を取り、焼香順から、止め焼香を誰にするか、
父の入棺など、この日も走り回りました。
次の日は通夜で、父方の親戚は、近くの方以外は来ないことがわかったので、
付き合いのある、母方の親戚のため、世話も殆どなく、晩に通夜があるため、
僕は、成績発表と、卒研決定があるので学校へ向いました。
今週一週間は、父が意識を失っていて、何ぞ何ぞと、病院に呼び出されたため、
毎日のように病院で、飯を食い、晩に家に帰る生活をしていました。
その為、学校に出向いた日は、疲れも溜まっていて、
だいぶ眠かったことを覚えています。
みんな、ブログ見て、心配してくれてありがとう。
と、言いつつ、時間を気にせず、数学科の友達と話し込んでしまい、
通夜1時間前に到着。
ちょっと危なかった。
通夜が終わり、晩御飯は葬儀場で。
この時からぺちゃくちゃぺちゃくちゃと、他愛ない会話が、
おっちゃんやおばちゃん、じいちゃん、ばあちゃんと続き、
時々、思い出したように、葬式が入ってきました。
父が危篤だという電話を受ける前まで、
祖父と近くにできた温泉に行こうという話しをしていたので、
僕ら家族や、祖父祖母、叔父叔母(叔は年少の意味)、伯父伯母(伯は年長の意味)、
の疲れがピークに達していたこともあり、明日葬式の後に、
風呂に行くことになりました。
葬式の後に、九州から来た、父のいとこから、
父が、僕ら家族に対してしていたように、頑固で、気使いであったこと
自分の思いどうりにならないと、怒り出すことなど、を聞き、
昔から、変わらなかったんだなと感心していました。
父は、独善的な面があるため、友人が少なく、
かといって、マメであった為、僕らの知らないうちで、
色々と、やっていたので、残った僕らは、一つ一つ
ブラックボックスを開ける破目に会うことになりました。
母は、友人だけど、連絡を取ったり付き合いがあったりしなかったからと、
入院中に連絡取らなかった、父の友人から、
入院した時に何故言ってくれなかったのかと、迫られたと、
今日言っていました。
昨日からは、父のものを整理し始めましたが、
何せ、デジタル機器から本まで、色々とあって、
どこから手をつけ始めたらいいのかと迷うばかりです。
今日は電子手帳を整理したのですが、
整理が終わって、ふと父の机の引き出しを開けると、
また一つ出てきます。
これで4っつ目。
わけがわかりません。
iPod二つに、デジカメ二つ、PSPにニンテンドーDS。
USBメモリーや、各種メモリーカードが、計15~20ほど見つかりました。
そして、それらとパソコンをつなぐケーブル類。
まだCD-Rが残っています。
頭が痛くなりそうです。
2007/02/28
少し落ち着いたので、書きます。
父の病状ですが、以前書き込んだもの以降、
少し悪化し、そして今日、また本の少しだけよくなりました。
意識を失って以降、我が家に緊急事態宣言が出され、
失った日(ブログを書いた日)と次の日は、一家で病院についていました。
翌日は、少し落ち着いたという事で、時間を区切り、
家族三人で、病院にいくローテーションを組むことなり、
ブログが書けなくなっていたしだいです。
意識を失った次の日、病状は悪化し、起き上がることがなくなりました。
この日に起きたのが、痙攣で、腕や顔あと足も動いていたと思います。
この日も、目はこちらを見ることができる状態であったような気はします。
時々、レム睡眠になって、目が、ゆっくりと左右に動いていました。
もう一つ、大きな変化がありました。
もちろんしゃっくりは出続けていたのですが、
時折、その呼吸が止まるようになったのです。
母親が、そのままほうっておくと、死んでしまうと感じて、
僕ら兄弟を呼び寄せました。
呼吸が止まるたびに、胸元を叩いて「お父さん!」と何度も呼びかけました。
実際は、何もしなくても復活するのですが、
何も知らないで、みていると、呼吸が止まった上に、戻った時、
ひどく大きな息をするので(様は息を止めていたから)
見ている側は、気が気でありません。
母親が、夕方にそのことに気がついて、一件落着というわけです。
(看護婦さんは、同情してか、知らずか、何も触れませんでした)
次の日は容態が安定していたようだということで、僕は勉強にいそしみ、
兄と母が、交代で病院に行きました。
この日も安定しています。
次の日、午前中は僕の当番だということで、朝から車で行きました。
この日は、目はこちらを見なくなり、痙攣も起きていません。
痙攣の原因は、体内のミネラルバランスが崩れているためだそうですが、
意識を失った二日目から、痙攣抑制剤を投与しているため、体は安定しています。
また、その「二日目」に、昼から尿が出なくなり、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
尿が、排泄されない状態が続くと、24時間以内に死に至るという事があったので、
心配していたのですが、この日には、すっかり出ていました。
もちろん、オシメを変えるのは、僕ら家族や、看護婦さんの役目です。
この日は、呼びかけようが、何しようが、うんともすんとも言いません。
オシメを変えたり、口内から胆を吸引したりしても、一切の反応が帰ってきません。
こうやって死んでいくのかな…と思っていました。
そして、今日ですが、少し良くなりました。
どう良くなったのかというと、反応が返ってくるようになりました。
口内を洗浄したり、鼻から胃の排泄物を取り出している管があるのですが、
そこから、十分取り出す為に、体を右に倒したり、右に倒したりしています。
その倒す時に、反応が「う~ん」と帰ってくるようになったのです。
ただし、目はまだ動きません。
僕の身近な人ならば、僕の精神状態を心配されると思いますが、
現在は、安定しています。
前回のブログを書く少し前が、一番不安定でした。
どういうことかと言いますと、
医師からあの日、意識が戻ったりなくなったりを繰り返して、
少しずつ、臓器が弱ってゆき、既に悪くなっている臓器に引っ張られる形で、
悪化の速度を速めてゆくという言い方をされているからです。
つまり、僕はあの日、
父の死を嘆いたのです。
もう意識が戻らない父というのは、
亡骸に過ぎません。
体温はありますし、声も発しますが、
コミュニケーションはできません。
つまり、僕が生まれてこの方付き合ってきた、
父ではないということです。
精神的な交流が得られない以上、
その生命に対して、どうこうということはありません。
ただ、魂の抜け殻が存在し、
物質の連鎖反応で、生命反応を維持しているに過ぎません。
懐かしい、「物体」がそこにあるのです。
意識が戻っても、わずかな時間でしょう。
父との、精神的交流は獲られないと思います。
だから、あの日、僕は可能な限り自分を解放しました。
思いっ切り泣いたのです。
そのおかげで、今の安定があると思います。
今は、ただ、
母親をあまり苦しめずに、逝ってほしいと、思うのみです。
少し悪化し、そして今日、また本の少しだけよくなりました。
意識を失って以降、我が家に緊急事態宣言が出され、
失った日(ブログを書いた日)と次の日は、一家で病院についていました。
翌日は、少し落ち着いたという事で、時間を区切り、
家族三人で、病院にいくローテーションを組むことなり、
ブログが書けなくなっていたしだいです。
意識を失った次の日、病状は悪化し、起き上がることがなくなりました。
この日に起きたのが、痙攣で、腕や顔あと足も動いていたと思います。
この日も、目はこちらを見ることができる状態であったような気はします。
時々、レム睡眠になって、目が、ゆっくりと左右に動いていました。
もう一つ、大きな変化がありました。
もちろんしゃっくりは出続けていたのですが、
時折、その呼吸が止まるようになったのです。
母親が、そのままほうっておくと、死んでしまうと感じて、
僕ら兄弟を呼び寄せました。
呼吸が止まるたびに、胸元を叩いて「お父さん!」と何度も呼びかけました。
実際は、何もしなくても復活するのですが、
何も知らないで、みていると、呼吸が止まった上に、戻った時、
ひどく大きな息をするので(様は息を止めていたから)
見ている側は、気が気でありません。
母親が、夕方にそのことに気がついて、一件落着というわけです。
(看護婦さんは、同情してか、知らずか、何も触れませんでした)
次の日は容態が安定していたようだということで、僕は勉強にいそしみ、
兄と母が、交代で病院に行きました。
この日も安定しています。
次の日、午前中は僕の当番だということで、朝から車で行きました。
この日は、目はこちらを見なくなり、痙攣も起きていません。
痙攣の原因は、体内のミネラルバランスが崩れているためだそうですが、
意識を失った二日目から、痙攣抑制剤を投与しているため、体は安定しています。
また、その「二日目」に、昼から尿が出なくなり、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
尿が、排泄されない状態が続くと、24時間以内に死に至るという事があったので、
心配していたのですが、この日には、すっかり出ていました。
もちろん、オシメを変えるのは、僕ら家族や、看護婦さんの役目です。
この日は、呼びかけようが、何しようが、うんともすんとも言いません。
オシメを変えたり、口内から胆を吸引したりしても、一切の反応が帰ってきません。
こうやって死んでいくのかな…と思っていました。
そして、今日ですが、少し良くなりました。
どう良くなったのかというと、反応が返ってくるようになりました。
口内を洗浄したり、鼻から胃の排泄物を取り出している管があるのですが、
そこから、十分取り出す為に、体を右に倒したり、右に倒したりしています。
その倒す時に、反応が「う~ん」と帰ってくるようになったのです。
ただし、目はまだ動きません。
僕の身近な人ならば、僕の精神状態を心配されると思いますが、
現在は、安定しています。
前回のブログを書く少し前が、一番不安定でした。
どういうことかと言いますと、
医師からあの日、意識が戻ったりなくなったりを繰り返して、
少しずつ、臓器が弱ってゆき、既に悪くなっている臓器に引っ張られる形で、
悪化の速度を速めてゆくという言い方をされているからです。
つまり、僕はあの日、
父の死を嘆いたのです。
もう意識が戻らない父というのは、
亡骸に過ぎません。
体温はありますし、声も発しますが、
コミュニケーションはできません。
つまり、僕が生まれてこの方付き合ってきた、
父ではないということです。
精神的な交流が得られない以上、
その生命に対して、どうこうということはありません。
ただ、魂の抜け殻が存在し、
物質の連鎖反応で、生命反応を維持しているに過ぎません。
懐かしい、「物体」がそこにあるのです。
意識が戻っても、わずかな時間でしょう。
父との、精神的交流は獲られないと思います。
だから、あの日、僕は可能な限り自分を解放しました。
思いっ切り泣いたのです。
そのおかげで、今の安定があると思います。
今は、ただ、
母親をあまり苦しめずに、逝ってほしいと、思うのみです。
2007/02/24
そこに、父親が住んでいました
タイトルは、僕が時々公開している、句集に投稿予定のものです。
昨日、病院から呼び出しがあり、
父親の、意識が戻る可能性の低いことが告げられました。
人間関係や人格の良し悪しは別にして、
生まれてこの方、23年間、共に過ごしてきたわけですから、
昨晩は、思いっきり泣きました。
多分、今までで、一番泣いたと思います。
前回の投稿にもあるように、
胆管癌で、大きな血管のすぐ近くに腫瘍ができ、
切除するには、命の危険が伴うために、
結局、今日に至るまで、癌は大きく肥大してきました。
癌の肥大は、だいぶ進行していて、
腸は既に、機能できなくなるまで、肥大しているそうです。
これが原因で、しゃっくりが止まらなくなり、
前回の投稿にあったように、胃から先に進まなくなった、
排斥物が、逆流してきている原因だそうです。
また、昨日は、まだ意識があったのに、急になくなってきたのは、
腎臓(だったと思います)に転移したため、
脳障害を引き起こすようになったということです。
2週間ほど前から、モルヒネなどによる鎮痛剤の投与をしていて、
この2,3日は、投与のし過ぎによる副作用をとめるため、していなかったそうですが、
モルヒネも、意識を失っている原因と考えられるとの事でした。
しかし、まだ、完全に意識を失ったわけではありません。
大きな声で、問いかけをすると、「はい」とだけ、返事をします。
目が、こちらを追いかけてきます。
絶えず続く、胃の堆積物によるしゃっくりの間に、
時折、意識が戻り、目線が、こちらを向いたり、
トイレに行こうとして、上半身を起こそうとしたりして、体を上げようとしたり、
寝返りをうったり、
こちらの問いかけに、答えるようになったりする状態です。
先生の話では、
現在は、心臓や肺など、転移していない所は、元気ですが、
他の臓器の疾患に引っ張られるようにして、
一気に悪くなる可能性があるということ、
また、意識は、戻ったりなくなったりを繰り返して、
今週中には、返事すらできなくなるようになるとの事。
いまは、坂を、徐々に転がり始めている所で、
いつ、加速を始めるかわからない状態であること
と、伺いました。
実は本人は、言葉の上では、自分が瀕死であったことは、
気付いていませんでした。
先週の日曜に、一時帰宅したのですが、
その時も、自分が買うマンションの書類を整理したりしていて、
むしろ、後数年間は生きてゆく気持ちは、持っていたようです。
看護婦さんが、昨晩、父親が、
病院の向かいにある、とある有名な公園に出かけ、
桜を見に行こうとしていたと話してくれました。
母親は、自分がどこで何をしているのかすら、
わからなくなってるんじゃないかと、いっていました。
よくわかりませんが、
闇の中、舞い散る桜の中にたたずむ、弱った父を想像すると、
ただ涙があふれるばかりです。
そこかしこをみると、父親の残像が残っており、
そこに、父親が住んでいました
そこで、父親が生きていました
という、喪失感までは行かないものの、
もう二度と、繰り返されることのない日常が、
この家には、溢れ、その影を踏まずにはおれません。
昨日、病院から呼び出しがあり、
父親の、意識が戻る可能性の低いことが告げられました。
人間関係や人格の良し悪しは別にして、
生まれてこの方、23年間、共に過ごしてきたわけですから、
昨晩は、思いっきり泣きました。
多分、今までで、一番泣いたと思います。
前回の投稿にもあるように、
胆管癌で、大きな血管のすぐ近くに腫瘍ができ、
切除するには、命の危険が伴うために、
結局、今日に至るまで、癌は大きく肥大してきました。
癌の肥大は、だいぶ進行していて、
腸は既に、機能できなくなるまで、肥大しているそうです。
これが原因で、しゃっくりが止まらなくなり、
前回の投稿にあったように、胃から先に進まなくなった、
排斥物が、逆流してきている原因だそうです。
また、昨日は、まだ意識があったのに、急になくなってきたのは、
腎臓(だったと思います)に転移したため、
脳障害を引き起こすようになったということです。
2週間ほど前から、モルヒネなどによる鎮痛剤の投与をしていて、
この2,3日は、投与のし過ぎによる副作用をとめるため、していなかったそうですが、
モルヒネも、意識を失っている原因と考えられるとの事でした。
しかし、まだ、完全に意識を失ったわけではありません。
大きな声で、問いかけをすると、「はい」とだけ、返事をします。
目が、こちらを追いかけてきます。
絶えず続く、胃の堆積物によるしゃっくりの間に、
時折、意識が戻り、目線が、こちらを向いたり、
トイレに行こうとして、上半身を起こそうとしたりして、体を上げようとしたり、
寝返りをうったり、
こちらの問いかけに、答えるようになったりする状態です。
先生の話では、
現在は、心臓や肺など、転移していない所は、元気ですが、
他の臓器の疾患に引っ張られるようにして、
一気に悪くなる可能性があるということ、
また、意識は、戻ったりなくなったりを繰り返して、
今週中には、返事すらできなくなるようになるとの事。
いまは、坂を、徐々に転がり始めている所で、
いつ、加速を始めるかわからない状態であること
と、伺いました。
実は本人は、言葉の上では、自分が瀕死であったことは、
気付いていませんでした。
先週の日曜に、一時帰宅したのですが、
その時も、自分が買うマンションの書類を整理したりしていて、
むしろ、後数年間は生きてゆく気持ちは、持っていたようです。
看護婦さんが、昨晩、父親が、
病院の向かいにある、とある有名な公園に出かけ、
桜を見に行こうとしていたと話してくれました。
母親は、自分がどこで何をしているのかすら、
わからなくなってるんじゃないかと、いっていました。
よくわかりませんが、
闇の中、舞い散る桜の中にたたずむ、弱った父を想像すると、
ただ涙があふれるばかりです。
そこかしこをみると、父親の残像が残っており、
そこに、父親が住んでいました
そこで、父親が生きていました
という、喪失感までは行かないものの、
もう二度と、繰り返されることのない日常が、
この家には、溢れ、その影を踏まずにはおれません。
2007/02/23
男と女
普段あんまり、女性のことについて話題にしない僕が、
こういう話をするのは、以外かもしれませんが、
僕の中で、男と女の違いというのは、大きなテーマなのです。
始まりは、演劇をやっていた高校時代からでした。
サスペンス系の番組で、
スナックのママが、例のごとく、殺害されて、
その常連だった、オカマが放った一言です。
「ママ、可哀想。。。」
衝撃的でした。
演技をしていく上で、技巧的な興味から、少しやっていたオカマですが、
このセリフは、どうあがいても、当時の僕からは出てきませんでした。
その時、本当の意味で、男と女は違うと、腑に落ちたのです。
現在も、その違いを実感させられています。
今回は、その実感を得たことがあったので、話題に載せました。
それは、僕が好きな番組で、プロジェクトXの後釜、
プロフェッショナル~仕事の流儀~という番組です。
この番組は、脳科学者 茂木健一郎(ソニー研)の研究テーマである、
クオリア研究に乗せてせて、
一流の人たちが、第一線で考えているのはどういうことなんだろうか?
という、趣旨で、毎回様々な方面のプロ中のプロが出演します。
今日見たのは、専門看護師の方のお話でした。
彼女は、死に直面している様な、極度に悪いコンディションの患者を
ナースすることが、仕事です。
持ち場はなく、重大な患者がいるなら、さまざまな所に(病院内でですが)でむきます。
内容に対しては、ある程度予想どうりでした。
つまり、やはり生む苦しみ、勇気を持った決断が必ず存在するということ。
それが、彼ら、彼女たる所以として、大きな存在感を誇っていること。
信念に基いて、ある行動をしていて、そのことを通して、
他の誰も感じでいない、何かを感じ取っているということです。
誰もがたじろいでしまうような、決断が、結局、彼らの価値を生んでいるということは、
幾度か見れば、わかります。
最後に聞かれるプロフェッショナルとは?という問いに対しても、
言葉は違えど、同じ事を言っています。
しかし、今回は他の回に比べて、とても衝撃的だったのです。
つまり、内容よりも、僕の衝撃は、彼女の振る舞いにありました。
言い換えるなら、今まで出ていた(僕が見てきた)ひとは、みんな男性で、
決して女性ではなかったことが、多い要因です。
普通、茂木氏の発言に対して(彼は、本質に近い部分を突こうとする)、
解答する時、言葉にならないものを表現しないといけない為、
言葉が、ゆっくりになったり、間をおいたりするのですが、
彼女はちがいました。
とにかく、普段と同じようなスピードで話すのです。
男性には考えられません。
つまり、僕からすると、ほんとに考えてるのかなといいたくなるような、
しゃべり方で、他の方々と、同じようなことを、言うわけです。
言動や振る舞いを見ていても、全然違います。
彼女は、時に素顔を見せ、時に深く考えといったことを、
次々と変え、会話をしてゆくのです。
僕からすると、この人は何を考えているんだという気分になります。
思うに、彼女が感じているのは、
僕より(または男性一般より)沢山の直感の様なものが、
頭の中で広がって、とても早く、目標にたどり着けるのだと思います。
しかし、言葉にするには、早すぎて、まとまらないまま、よくわからない言葉が出てきます。
広がるのが早いから、表情や言動も、コロコロと変わるのだと思います。
衝撃的でした。
もう一度、女性観を立て直さなければなりません。
女性を評価する上で、とても大切なことだと思います。
こういう話をするのは、以外かもしれませんが、
僕の中で、男と女の違いというのは、大きなテーマなのです。
始まりは、演劇をやっていた高校時代からでした。
サスペンス系の番組で、
スナックのママが、例のごとく、殺害されて、
その常連だった、オカマが放った一言です。
「ママ、可哀想。。。」
衝撃的でした。
演技をしていく上で、技巧的な興味から、少しやっていたオカマですが、
このセリフは、どうあがいても、当時の僕からは出てきませんでした。
その時、本当の意味で、男と女は違うと、腑に落ちたのです。
現在も、その違いを実感させられています。
今回は、その実感を得たことがあったので、話題に載せました。
それは、僕が好きな番組で、プロジェクトXの後釜、
プロフェッショナル~仕事の流儀~という番組です。
この番組は、脳科学者 茂木健一郎(ソニー研)の研究テーマである、
クオリア研究に乗せてせて、
一流の人たちが、第一線で考えているのはどういうことなんだろうか?
という、趣旨で、毎回様々な方面のプロ中のプロが出演します。
今日見たのは、専門看護師の方のお話でした。
彼女は、死に直面している様な、極度に悪いコンディションの患者を
ナースすることが、仕事です。
持ち場はなく、重大な患者がいるなら、さまざまな所に(病院内でですが)でむきます。
内容に対しては、ある程度予想どうりでした。
つまり、やはり生む苦しみ、勇気を持った決断が必ず存在するということ。
それが、彼ら、彼女たる所以として、大きな存在感を誇っていること。
信念に基いて、ある行動をしていて、そのことを通して、
他の誰も感じでいない、何かを感じ取っているということです。
誰もがたじろいでしまうような、決断が、結局、彼らの価値を生んでいるということは、
幾度か見れば、わかります。
最後に聞かれるプロフェッショナルとは?という問いに対しても、
言葉は違えど、同じ事を言っています。
しかし、今回は他の回に比べて、とても衝撃的だったのです。
つまり、内容よりも、僕の衝撃は、彼女の振る舞いにありました。
言い換えるなら、今まで出ていた(僕が見てきた)ひとは、みんな男性で、
決して女性ではなかったことが、多い要因です。
普通、茂木氏の発言に対して(彼は、本質に近い部分を突こうとする)、
解答する時、言葉にならないものを表現しないといけない為、
言葉が、ゆっくりになったり、間をおいたりするのですが、
彼女はちがいました。
とにかく、普段と同じようなスピードで話すのです。
男性には考えられません。
つまり、僕からすると、ほんとに考えてるのかなといいたくなるような、
しゃべり方で、他の方々と、同じようなことを、言うわけです。
言動や振る舞いを見ていても、全然違います。
彼女は、時に素顔を見せ、時に深く考えといったことを、
次々と変え、会話をしてゆくのです。
僕からすると、この人は何を考えているんだという気分になります。
思うに、彼女が感じているのは、
僕より(または男性一般より)沢山の直感の様なものが、
頭の中で広がって、とても早く、目標にたどり着けるのだと思います。
しかし、言葉にするには、早すぎて、まとまらないまま、よくわからない言葉が出てきます。
広がるのが早いから、表情や言動も、コロコロと変わるのだと思います。
衝撃的でした。
もう一度、女性観を立て直さなければなりません。
女性を評価する上で、とても大切なことだと思います。
魂が抜けてゆく。。
今日、父の見舞いに行ってきました。
正直言って、いつ死ぬかって感じなのですが、
ここ数日で、極端に調子が落ちました。
原因は、腹水が溜まりすぎて、肺を圧迫していて、
同時に、痰を詰まらせ、呼吸困難に、なったことがあって、
その時に、大量の腹水を抜いたことと、
最近、まだ理由は先生から聞いてないそうですが、
胃に、大量の茶色い液体が溜まり始めて、
最近、それを大量に吐いたこと。
また、それを抜くために、また、管を指したことがあげられると思います。
元々は、胆管という、肝臓から伸びてる管の癌で、
黄疸が発生したのが、退職して間もない頃で、もう一年近く闘ってます。
胆管癌の説明の(あやしい)ページ
http://www.y-assist.com/gan-page/tankangan.html
大きな、血管が通っているらしく、手術はできませんでした。
結局、黄疸は進んで、胆管から引いた管を胃に入れたり、
色々としていますが、なんだかんだで、だいぶ癌は転移してきているようです。
今日の父は、今までお見舞いに行った中で、
一番悪く、疲れきっていました(吐いて寝れてないことも影響していますが)
運動していない(できない)せいで、筋肉が落ち、だいぶ痩せています。
今日は、ずっと寝てました。
僕の携帯の、期限が切れたせいで(プリケーだから。)
もって帰るものとかが、わからないので、母親に連絡を取ろうとして、
父の携帯を覗いてしまいました。
メールが、幾通かあり、兄へのものがありました。
内容は、
この間は、(病院に)来てくれたんやね。ありがとう。
このあいだ(日帰りで家に)帰ったとき、いなくてさびしかったです。
・・・
という感じの内容でした。
頑固で、決め付けがましく、自尊心の高い親父ですので、
「さびしかったです」
なんか、聞いたことがありませんでした。
なにか、この父らしくも無い言動が、いやにリアリティーがあり、
死が迫っているのだなと、実感してしまいました。
定時の、液取りに看護婦さんがいらして、
橙の胆汁と、1リットル近く出た、胃からの茶色い液体を、
容器にうつして、もってゆきました。
胃からのものは、さすがに、胃液と混じっているせいか、
すっぱい臭いがして、ところどころ、白い塊がまっていました。
父は今、何も食べていません。飲み物が許されているのみです。
したがって、この液体は、何らかの体液となります。
父のやせこけた姿と、この多量の体液を見ていると、
少しずつ、少しずつ、魂が、抜けてゆくような感じにもなります。
僕にとっては、反面教師となる面も多く、
僕の様な理屈くさい人間には、
なかなか、強がって、ああいう言葉が出てこないのでしょう。
覚悟を、しておかなければなりません。
正直言って、いつ死ぬかって感じなのですが、
ここ数日で、極端に調子が落ちました。
原因は、腹水が溜まりすぎて、肺を圧迫していて、
同時に、痰を詰まらせ、呼吸困難に、なったことがあって、
その時に、大量の腹水を抜いたことと、
最近、まだ理由は先生から聞いてないそうですが、
胃に、大量の茶色い液体が溜まり始めて、
最近、それを大量に吐いたこと。
また、それを抜くために、また、管を指したことがあげられると思います。
元々は、胆管という、肝臓から伸びてる管の癌で、
黄疸が発生したのが、退職して間もない頃で、もう一年近く闘ってます。
胆管癌の説明の(あやしい)ページ
http://www.y-assist.com/gan-page/tankangan.html
大きな、血管が通っているらしく、手術はできませんでした。
結局、黄疸は進んで、胆管から引いた管を胃に入れたり、
色々としていますが、なんだかんだで、だいぶ癌は転移してきているようです。
今日の父は、今までお見舞いに行った中で、
一番悪く、疲れきっていました(吐いて寝れてないことも影響していますが)
運動していない(できない)せいで、筋肉が落ち、だいぶ痩せています。
今日は、ずっと寝てました。
僕の携帯の、期限が切れたせいで(プリケーだから。)
もって帰るものとかが、わからないので、母親に連絡を取ろうとして、
父の携帯を覗いてしまいました。
メールが、幾通かあり、兄へのものがありました。
内容は、
この間は、(病院に)来てくれたんやね。ありがとう。
このあいだ(日帰りで家に)帰ったとき、いなくてさびしかったです。
・・・
という感じの内容でした。
頑固で、決め付けがましく、自尊心の高い親父ですので、
「さびしかったです」
なんか、聞いたことがありませんでした。
なにか、この父らしくも無い言動が、いやにリアリティーがあり、
死が迫っているのだなと、実感してしまいました。
定時の、液取りに看護婦さんがいらして、
橙の胆汁と、1リットル近く出た、胃からの茶色い液体を、
容器にうつして、もってゆきました。
胃からのものは、さすがに、胃液と混じっているせいか、
すっぱい臭いがして、ところどころ、白い塊がまっていました。
父は今、何も食べていません。飲み物が許されているのみです。
したがって、この液体は、何らかの体液となります。
父のやせこけた姿と、この多量の体液を見ていると、
少しずつ、少しずつ、魂が、抜けてゆくような感じにもなります。
僕にとっては、反面教師となる面も多く、
僕の様な理屈くさい人間には、
なかなか、強がって、ああいう言葉が出てこないのでしょう。
覚悟を、しておかなければなりません。
2007/02/22
この先にあるものは。
本日(2/21)付でメールを東大の佐々先生と、福島先生の両先生に出しました。
ここ数日、近所の自習室(といっても三十分はかかる)が、10時からだったのが、
9時からに変わっていたことを発見。宅浪時代を思い出し、少し勉学に励んでおります。
勉強とはなんなのでしょうか。本当に。
本当の意味での理解を求めようとすると、余計にわからなくなり、
結局、何の経験知も得ないまま、あやふやなもののみが残ってしまう。
逆に、本質的な理解そっちのけで、演習ばかりやってると、
使えるようになるが、仮定がなんであるかわからなくなって、
結局何をしているのか、よくわからなくなる。
院試を前に、もがいているわけですが、
結局、悩んでいる所は、浪人中と同じ。
本質を捉える意識をなくせば、先にまっている研究が、
危うくなる気がする。
演習を怠れば、経験的蓄積を逃し、
結局、具体的問題を解けなくなる。
バランスだと、なんと数学の先生に言われました。
難しいです。
頭がいい人とは、結局、
本当に頭がいいのではなくて、
バランス感覚がいい人のことを指すのでしょうね。
う~ん
ここ数日、近所の自習室(といっても三十分はかかる)が、10時からだったのが、
9時からに変わっていたことを発見。宅浪時代を思い出し、少し勉学に励んでおります。
勉強とはなんなのでしょうか。本当に。
本当の意味での理解を求めようとすると、余計にわからなくなり、
結局、何の経験知も得ないまま、あやふやなもののみが残ってしまう。
逆に、本質的な理解そっちのけで、演習ばかりやってると、
使えるようになるが、仮定がなんであるかわからなくなって、
結局何をしているのか、よくわからなくなる。
院試を前に、もがいているわけですが、
結局、悩んでいる所は、浪人中と同じ。
本質を捉える意識をなくせば、先にまっている研究が、
危うくなる気がする。
演習を怠れば、経験的蓄積を逃し、
結局、具体的問題を解けなくなる。
バランスだと、なんと数学の先生に言われました。
難しいです。
頭がいい人とは、結局、
本当に頭がいいのではなくて、
バランス感覚がいい人のことを指すのでしょうね。
う~ん
登録:
投稿 (Atom)
